9月19日(土)
「AIってやつは私の携帯にも入れられるん?」と母が言った。「エーピーピーストアってやつからGPTって入力して検索すれば入れられるよ」と返答した。「あ、会員登録もいるから」と追加で言った。「わかった、帰ってからやってみるわ」と言って帰っていった。とうとう「うちのおかんもAIを使う時代」が来てしまったのだ。
日誌ではなく、日記。
その日あったことではなくて、忘れたくない感覚や考えたことを残しておくメモのようなもの。
「AIってやつは私の携帯にも入れられるん?」と母が言った。「エーピーピーストアってやつからGPTって入力して検索すれば入れられるよ」と返答した。「あ、会員登録もいるから」と追加で言った。「わかった、帰ってからやってみるわ」と言って帰っていった。とうとう「うちのおかんもAIを使う時代」が来てしまったのだ。
5歳に「今日から秋です!」って伝えたら「そうなの!?」って言われた。今日から秋です。
暑さで机に置いていたアルフォートのチョコが溶けてクッキーだけになっていたのだけど、食べてみたらめちゃめちゃおいしかった。
アルフォートのあのうまさの秘密はクッキーにあったんや!という気づき。
8月の頭に子供たちとちいかわの映画を見に行ってからというもの、みるみるとハマってしまっている。
このまま作者が物語を描き続けてくれれば、ドラえもん、ちびまる子ちゃん、クレヨンしんちゃんに並ぶ国民的アニメになるはず...という予言を書き残しておこう。
ほとんどのアイデアは、アイデアがすごいのではなく、思いついたアイデアをリスクを取って実行した勇気と根性がすごいのだろう。
時間がありカフェに入って読書している時に、近くに本屋があり、手持ちの本を読むよりも、本屋で新しいを探したい!とむずむずしてしまった。これは明らかに読書が好きというより本屋や本を買うという行為が好きと言える。
その場合、趣味は「読書」ではなく、趣味は「本」か「本屋」になるのだろうか。
長女をダンスのお迎えに行ったいつもの帰り道、青暗くなってきた空と並んで灯りを灯した民家が、水を張った田んぼの水面に鏡みたいに逆さに映って、びっくりするくらい美しかった。写真に撮りたかったけど撮れなかったから日記に残しておく。景色も思い出せるといいな。
ローソンでアイスコーヒーを買って、ふたの飲み口のところを手で開けようと思ったら「くちびるでPUSH」って書いてあって、おおん、と思いながらくちびるでPUSHしながら飲んでいる。口元がやさしい感じがあって良い感じ。くちびるでPUSHって語感もなんか良い感じ。くちばしにチェリーみたいな。
日記が書けなかった。
日々仕事に追われ仕事のことばかり考えていると、こんなにも考える余白がないものかと。
けど日記を書いてない期間は、何かを考える隙間もなく走り抜けた期間の目印として肯定的に捉えておこう。不在が意味を持っている。
昨日から急に自分の会社の自社サイトを作りたくなってきた。
独立してから今まで関わってきた人たちで、今もずっと関わり続けてくれたり、関わり続けたいと思える人たちってどんな人たちなのだろうと考えてみると「つくる人、続ける人」が好きなのだということがわかった。お金や名誉や自分への利益のことばかり考えている人のことは好きになれないけど、何か信念を持って、何かをつくり、時代が変わってもその信念を持ち続けている人のことが好きで、尊敬できて、そばにいたいと思う。
自社サイトに「つくる人、続ける人」みたいなタイトルで、そんな風な今まで関わってきた人達と話をする記事とPodcastをアップしていけたらめっちゃ楽しそうだな〜と思った。
作家の平野啓一郎さんの分人主義(本当の自分(個人)というのはなくて、関わる人との関係性の中で生まれる複数の自分(分人)の集合体が自分、という考え方)が自分としてもしっくりきていて、会社も会社の分人の集合体なのではないかということを考えた。自分の会社はどんな人や企業と関わって、どんな関係性を築いているのか、それを集めることで、会社の輪郭が見えてくるのではないか。
AI時代だと実績が並んでいるだけのサイトを作っても虚しくなる気がしてきて、そうじゃなくて、その会社がどんな人と一緒に歩いてきて、どんな人と一緒に居たいと思っているのか、それがサイトで表現できたらめっちゃええやん。それはめっちゃええコーポレートサイトになりそうやん。やりたいなー。
AIにはできなくて人間にできることはゆっくりと時間を積み重ねたり、歴史を作ったりすることなのではと思い、そんな人間らしい場にできたらいいな。
自社サイトにもこの日記表示するのも良いなーと思う。日記も「つくる人、続ける人」。fuzkueの阿久津さんが好きなのもそれだったのか。
ちょっと前に考えて、今日また考えたことを、空いている日付があったからその日の日記とする。
日記は意外とフィクション。日付も意外とフィクション。
生きている内に本を出版してみたいという夢がある。それは自分が死んでからも本は残っているということに浪漫を感じるというのが大きいのだけど、でももしいま毎週更新しているPodcastが残り続けるとしたらそれも本と同じくらい尊いのではと思い、とても浪漫のあることをやっている気がしてきた。
へとへとになって帰ったけど、部屋にAmazonからまとめて届いた本2冊と漫画3冊が広げてあり、なんとわくわくすることか。たくさんの積読本を差し置いて5冊が輝いていて見える。小さな本屋さんみたいな。新刊コーナみたいな。このときめきがあれば生きていけそうです。
藤井風の「it's alright」という曲がなんだか癖になり何度も聞いてしまう。
大丈夫、上手くいく。という考え方や、人生の流れは自分で決めるというより、コントロールできる部分は少ないから、大きな流れに身を任せていれば大丈夫という考え方は、最近の実感としても思っていることだったので、やっぱそうか〜と共感する。
執着とかはなくした方が楽だし、その方が上手くいくというのも年を重ねる度にわかってきた。
諦めなさい、カーマ。こっちにきなさい、プレマ。
長男のピアノの発表会の日。
朝、発表会用に妻が買ったシャツと黒いズボンを履いてリビングでリラックスしている長男が、小さく縮小した若い頃の自分の姿に見えてぎょっとした。遺伝子。
藤戸にあるピアノを置いた小屋をオープンな状態にした広場が会場だった。出順は3番目。長女の友達が家のピアノで弾いていたのを聞いて気に入ったらしく、魔女の宅急便の「海の見える街」を演奏した。弾き始めが鮮やかで、空気を作っている感じがあってとてもよかった。途中で詰まりながらも最後まで演奏することができてよかった。妻も「今までで一番よかった」と褒めていた。
その後も同じ教室の子達の演奏を聴き、みんなとてもよかった。ハウルの動く城の曲をを弾いている子もいて、この曲は「人生のメリーゴーランド」というタイトルなのか〜ということを初めて知った。「人生」という言葉を聞くだけその二文字の中に長く濃い時間が詰まっている感じがしてわくわくする。いい曲。人生は直線ではなく円形なのか、輪廻。視点によって形が変わる。
最後に演奏者全員で「それもいいね」を合唱していて、これもとてもよかった。いい曲。人間のやるべきことなんてこういうことしかないかもという気持ちになりながらうるうるしながら聞いた。美しい美しい。もっとこの時間が続けばいいのに、まだ終わらないでと思いながら聞いた。プロのアーティストのライブ以外でこんな気持ちになるのは初めてだった。
ECサイトを管理させてもらっているクライアントさんから、こういうことできる?って聞かれて「できますよ〜、こうやって、こうやって、こう」みたいな感じでやって見せると「すごいな、もうドラえもんみたいじゃな」って言われておもしろかった。
その時はそれができるECのシステムの方をドラえもんだと思ったけど、よく考えると便利な道具の使い方を教えてくれるのがドラえもんだから、自分がドラえもんだった。
ドラえもん好きだから嬉しかったけど、自分がドラえもんになるのは良いのか。
紙のアーティストの谷内庸生さんが奥様と備前の展示を見に来られるということで、COCHAEさんとnensowさんと岡山でまた再会。とてもいい夜だった。奥様はキュートで、谷内さんはWebサイトをすごく喜んでくださって本当に良かったし、二次会が終わる時に「It's a beginning」と言って乾杯して終わったのがすごくよかった。
ご夫婦を見送った後、駅まで歩いて前回と同じくコンビニで飲み物を買って駅前で終電ぎりぎりまで飲むというのがめっちゃ良くて、思った以上に早くまたこれができてよかった。
谷内さんのサイトにnensowさんの音をつけようと約束をして、すごくやりたかったので楽しみ。
今日は朝から散歩ができて、その前に筋トレまでできてハッピーセットだった。忙しない日々の中で睡眠欲や締切のプレッシャーに勝てたときに注文できる。このセットを頼めば散歩したかったなー筋トレしなきゃなーがなくなり一日ハッピー。
Podcastの奇奇怪怪が本当に好きで、最近はTaiTanさんや周啓さんが一週間こんなことを俺は考えたよを報告し合ってる感じでとても良い。日記みたい。自分も日記を書き、人々も日記を書き、俺は、私は、今こんな感じだよが空に向かって投げられる。書き、読み、人々の日常が混ざり合う。
日記を書きはじめてから、日々書きたいことは書き留めているけど、エッセイでは何を書くのか自分で気になる。何が書かれるのか楽しみ。
朝6時にアラームをセットしていて、子供達も同じ時間にアラームをセットしていたのでいたる所からアラーム音が鳴った。
長男と、フロントの外に「バス釣り徒歩4分。ご自由にお使いください」と置いてあったルアーの付いた釣竿に目をつけていて、朝起きたら行こうと約束をしていたのだった。
本当に徒歩4分ほど歩くと池があり、釣竿を持った長男は僕が手伝おうとすると「ちょっと待って」と言って自分でやろうとしてたくましい。ルアーを水面に落とすと早速小さな魚3匹くらいが興味を持ってつんつん突っついてきてかわいい。こんな偽物に早速こんなに興味持ってもらえるんだと驚いた。向こうの方で大きな魚の跳ねる音が聞こえたので、場所を移動しながら糸を落としてみるけど、結局くいついてはもらえず、30分程二人で粘った後帰ることにした。鳥の声と水の音くらいしかない良い時間だった。
戻って朝風呂に入った後、みんなで朝ご飯のバイキングを食べて、部屋に戻り、長男と次女と大きな画面でスマブラをしてからそろそろチェックアウト。
帰りにノースヴィレッジに寄って遊んだり、昼ご飯を食べたり、こんなところにこんな場所があるんだなぁと、民家もたくさんあり、バレー部の試合で対戦した覚えのある勝間田高校があったり、津山にいた頃はお隣の勝央町の名前しか知らなかったからすごく新鮮だった。県北はもっと探索できるところがありそうでまた来たい。ノースヴィレッジの池に悪夢みたいな鯉の大群がいて、あれは嫌な映画のワンシーンになりそうなくらい映像としてインパクトがあったので一生覚えているだろう。
津山に寄るともはや主目的くらいになっている家族みんなで大好きになった大文字というお店の十萬石というお菓子をたくさん買って帰る。妻と「こんなにもおいしいお菓子が昔にあったらそりゃぁものすごい価値があったんだろうなあ」という話をする、本当に美味しいし、美しく丁寧なこしあん、十萬石の名前にものすごく納得する。
帰って子供達と「家の温泉に入ろう」と言って早風呂。
楽しい旅だった。また旅行に行ける日を楽しみにがんばろうね。
年に1回の家族での旅行。津山に住んでいた頃に憧れがあった湯郷温泉に初めて泊まった。
温泉に行く途中に、お昼は高専生ならみんな大好きな津山の懐かしいお店(ひらやま)で食べた。変わらずおいしく、価格も昔と変わらずでびっくりだった。お好み焼き(特大)を頼んだけど平べったいのでみんなでうまいうまいと食べてペロリだった。
高専時代に友人がよく豆を買っていた珈琲屋さんもずっと気になっていて、ついに買うことができた。あの頃は豆を買って挽いていた友の気持ちがまったくわからなかったけど、今は帰って挽いて飲むのがとても楽しみで、これを大人になったと言うならばあの頃の彼は何だったのだろうか。人生2周目というやつだろうか。こういった周りとのちょっとした違いによって2周目がバレていくのだろうか。
長女の行きたがっていた韓国雑貨のお店に行ったり、おしゃれな雑貨屋さんにも寄った後、神楽尾公園で遊んで、湯郷へ。
津山から勝央町に行く途中に流れる景色を見ながら、ここにこんな形の木があったっけとか、こんなに山が近かったっけとか、棚田がきれいだなとか、建物よりも自然の方に目が行く。
湯郷に到着。ペンションタイプの部屋で、部屋に入るなりすごーいと家族一同で盛り上がる。
長女とコンビニに買い出しに行ったり、みんなで部屋の大きい画面でマリオカートしたり、お風呂に入り、ご飯を食べて、またお風呂に入ってサウナに3回くらい入った。水風呂が冷たくて、やっぱりサウナとは水風呂がメインなんだなと思う。
ご飯の後、フロントに置いてあった人生ゲームを持ってきて、部屋のリビングのスペースでみんなでやった。僕は政治家になるマスに止まったので、政治家になり、そのまま総理大臣になった。イラストが女性の総理だった。結婚して子供が3人生まれた。妻も結婚して車に配偶者を乗せていた。運転手は自分達なので、お互いにあなたではない誰かを乗せているのが何だか不思議な感じがしておもしろかった。ゴール手前で火星に住むことになり、$250,000を支払うことになり、最終的にビリだった。総理大臣にまでなったのに。エキサイティングな人生であった。
ジャズっぽい音楽を流しながら大人はお酒を飲みながらゲームをしてるとお店みたいにいい感じの雰囲気で、BGMってすごいな大事だなと思う。
人生ゲームやりながらめちゃめちゃ眠くなって、おやすみ。
ファミマの靴下が売れているからと、ローソンにもローソン柄の靴下が置いてあるのを見ていつも「そういうことじゃないんだよ」と思う。