4月29日(水)
ちょっと前に考えて、今日また考えたことを、空いている日付があったからその日の日記とする。
日記は意外とフィクション。日付も意外とフィクション。
日誌ではなく、日記。
その日あったことではなくて、忘れたくない感覚や考えたことを残しておくメモのようなもの。
ちょっと前に考えて、今日また考えたことを、空いている日付があったからその日の日記とする。
日記は意外とフィクション。日付も意外とフィクション。
生きている内に本を出版してみたいという夢がある。それは自分が死んでからも本は残っているということに浪漫を感じるというのが大きいのだけど、でももしいま毎週更新しているPodcastが残り続けるとしたらそれも本と同じくらい尊いのではと思い、とても浪漫のあることをやっている気がしてきた。
へとへとになって帰ったけど、部屋にAmazonからまとめて届いた本2冊と漫画3冊が広げてあり、なんとわくわくすることか。たくさんの積読本を差し置いて5冊が輝いていて見える。小さな本屋さんみたいな。新刊コーナみたいな。このときめきがあれば生きていけそうです。
藤井風の「it's alright」という曲がなんだか癖になり何度も聞いてしまう。
大丈夫、上手くいく。という考え方や、人生の流れは自分で決めるというより、コントロールできる部分は少ないから、大きな流れに身を任せていれば大丈夫という考え方は、最近の実感としても思っていることだったので、やっぱそうか〜と共感する。
執着とかはなくした方が楽だし、その方が上手くいくというのも年を重ねる度にわかってきた。
諦めなさい、カーマ。こっちにきなさい、プレマ。
長男のピアノの発表会の日。
朝、発表会用に妻が買ったシャツと黒いズボンを履いてリビングでリラックスしている長男が、小さく縮小した若い頃の自分の姿に見えてぎょっとした。遺伝子。
藤戸にあるピアノを置いた小屋をオープンな状態にした広場が会場だった。出順は3番目。長女の友達が家のピアノで弾いていたのを聞いて気に入ったらしく、魔女の宅急便の「海の見える街」を演奏した。弾き始めが鮮やかで、空気を作っている感じがあってとてもよかった。途中で詰まりながらも最後まで演奏することができてよかった。妻も「今までで一番よかった」と褒めていた。
その後も同じ教室の子達の演奏を聴き、みんなとてもよかった。ハウルの動く城の曲をを弾いている子もいて、この曲は「人生のメリーゴーランド」というタイトルなのか〜ということを初めて知った。「人生」という言葉を聞くだけその二文字の中に長く濃い時間が詰まっている感じがしてわくわくする。いい曲。人生は直線ではなく円形なのか、輪廻。視点によって形が変わる。
最後に演奏者全員で「それもいいね」を合唱していて、これもとてもよかった。いい曲。人間のやるべきことなんてこういうことしかないかもという気持ちになりながらうるうるしながら聞いた。美しい美しい。もっとこの時間が続けばいいのに、まだ終わらないでと思いながら聞いた。プロのアーティストのライブ以外でこんな気持ちになるのは初めてだった。
ECサイトを管理させてもらっているクライアントさんから、こういうことできる?って聞かれて「できますよ〜、こうやって、こうやって、こう」みたいな感じでやって見せると「すごいな、もうドラえもんみたいじゃな」って言われておもしろかった。
その時はそれができるECのシステムの方をドラえもんだと思ったけど、よく考えると便利な道具の使い方を教えてくれるのがドラえもんだから、自分がドラえもんだった。
ドラえもん好きだから嬉しかったけど、自分がドラえもんになるのは良いのか。
紙のアーティストの谷内庸生さんが奥様と備前の展示を見に来られるということで、COCHAEさんとnensowさんと岡山でまた再会。とてもいい夜だった。奥様はキュートで、谷内さんはWebサイトをすごく喜んでくださって本当に良かったし、二次会が終わる時に「It's a beginning」と言って乾杯して終わったのがすごくよかった。
ご夫婦を見送った後、駅まで歩いて前回と同じくコンビニで飲み物を買って駅前で終電ぎりぎりまで飲むというのがめっちゃ良くて、思った以上に早くまたこれができてよかった。
谷内さんのサイトにnensowさんの音をつけようと約束をして、すごくやりたかったので楽しみ。
今日は朝から散歩ができて、その前に筋トレまでできてハッピーセットだった。忙しない日々の中で睡眠欲や締切のプレッシャーに勝てたときに注文できる。このセットを頼めば散歩したかったなー筋トレしなきゃなーがなくなり一日ハッピー。
Podcastの奇奇怪怪が本当に好きで、最近はTaiTanさんや周啓さんが一週間こんなことを俺は考えたよを報告し合ってる感じでとても良い。日記みたい。自分も日記を書き、人々も日記を書き、俺は、私は、今こんな感じだよが空に向かって投げられる。書き、読み、人々の日常が混ざり合う。
日記を書きはじめてから、日々書きたいことは書き留めているけど、エッセイでは何を書くのか自分で気になる。何が書かれるのか楽しみ。
朝6時にアラームをセットしていて、子供達も同じ時間にアラームをセットしていたのでいたる所からアラーム音が鳴った。
長男と、フロントの外に「バス釣り徒歩4分。ご自由にお使いください」と置いてあったルアーの付いた釣竿に目をつけていて、朝起きたら行こうと約束をしていたのだった。
本当に徒歩4分ほど歩くと池があり、釣竿を持った長男は僕が手伝おうとすると「ちょっと待って」と言って自分でやろうとしてたくましい。ルアーを水面に落とすと早速小さな魚3匹くらいが興味を持ってつんつん突っついてきてかわいい。こんな偽物に早速こんなに興味持ってもらえるんだと驚いた。向こうの方で大きな魚の跳ねる音が聞こえたので、場所を移動しながら糸を落としてみるけど、結局くいついてはもらえず、30分程二人で粘った後帰ることにした。鳥の声と水の音くらいしかない良い時間だった。
戻って朝風呂に入った後、みんなで朝ご飯のバイキングを食べて、部屋に戻り、長男と次女と大きな画面でスマブラをしてからそろそろチェックアウト。
帰りにノースヴィレッジに寄って遊んだり、昼ご飯を食べたり、こんなところにこんな場所があるんだなぁと、民家もたくさんあり、バレー部の試合で対戦した覚えのある勝間田高校があったり、津山にいた頃はお隣の勝央町の名前しか知らなかったからすごく新鮮だった。県北はもっと探索できるところがありそうでまた来たい。ノースヴィレッジの池に悪夢みたいな鯉の大群がいて、あれは嫌な映画のワンシーンになりそうなくらい映像としてインパクトがあったので一生覚えているだろう。
津山に寄るともはや主目的くらいになっている家族みんなで大好きになった大文字というお店の十萬石というお菓子をたくさん買って帰る。妻と「こんなにもおいしいお菓子が昔にあったらそりゃぁものすごい価値があったんだろうなあ」という話をする、本当に美味しいし、美しく丁寧なこしあん、十萬石の名前にものすごく納得する。
帰って子供達と「家の温泉に入ろう」と言って早風呂。
楽しい旅だった。また旅行に行ける日を楽しみにがんばろうね。
年に1回の家族での旅行。津山に住んでいた頃に憧れがあった湯郷温泉に初めて泊まった。
温泉に行く途中に、お昼は高専生ならみんな大好きな津山の懐かしいお店(ひらやま)で食べた。変わらずおいしく、価格も昔と変わらずでびっくりだった。お好み焼き(特大)を頼んだけど平べったいのでみんなでうまいうまいと食べてペロリだった。
高専時代に友人がよく豆を買っていた珈琲屋さんもずっと気になっていて、ついに買うことができた。あの頃は豆を買って挽いていた友の気持ちがまったくわからなかったけど、今は帰って挽いて飲むのがとても楽しみで、これを大人になったと言うならばあの頃の彼は何だったのだろうか。人生2周目というやつだろうか。こういった周りとのちょっとした違いによって2周目がバレていくのだろうか。
長女の行きたがっていた韓国雑貨のお店に行ったり、おしゃれな雑貨屋さんにも寄った後、神楽尾公園で遊んで、湯郷へ。
津山から勝央町に行く途中に流れる景色を見ながら、ここにこんな形の木があったっけとか、こんなに山が近かったっけとか、棚田がきれいだなとか、建物よりも自然の方に目が行く。
湯郷に到着。ペンションタイプの部屋で、部屋に入るなりすごーいと家族一同で盛り上がる。
長女とコンビニに買い出しに行ったり、みんなで部屋の大きい画面でマリオカートしたり、お風呂に入り、ご飯を食べて、またお風呂に入ってサウナに3回くらい入った。水風呂が冷たくて、やっぱりサウナとは水風呂がメインなんだなと思う。
ご飯の後、フロントに置いてあった人生ゲームを持ってきて、部屋のリビングのスペースでみんなでやった。僕は政治家になるマスに止まったので、政治家になり、そのまま総理大臣になった。イラストが女性の総理だった。結婚して子供が3人生まれた。妻も結婚して車に配偶者を乗せていた。運転手は自分達なので、お互いにあなたではない誰かを乗せているのが何だか不思議な感じがしておもしろかった。ゴール手前で火星に住むことになり、$250,000を支払うことになり、最終的にビリだった。総理大臣にまでなったのに。エキサイティングな人生であった。
ジャズっぽい音楽を流しながら大人はお酒を飲みながらゲームをしてるとお店みたいにいい感じの雰囲気で、BGMってすごいな大事だなと思う。
人生ゲームやりながらめちゃめちゃ眠くなって、おやすみ。
ファミマの靴下が売れているからと、ローソンにもローソン柄の靴下が置いてあるのを見ていつも「そういうことじゃないんだよ」と思う。
日中によなよな哲学ラジオの収録をできて楽しかった!2週間に1回は仕事でなく創作や夢に関することを1人だけで考えるのではなく2人で話しながら考える時間があることは本当にありがたいことだなあと思う。
夜は業務委託先の会社の仕事仲間の方と社長さんと、その取引先の会社の方と4人で飲み会だった。ずっと尊敬していて独立後からずっとお世話になっている社長さんに自分的に気になっていたことを聞けたり、なるほどな〜〜と本当に学びのあることが聞けたり、本当に良い時間だった。社長さんは実家が神社なこともあり、神道的な考え方が根底にあるそうで、神道はいかに自然に対して自分を合わせていくかという考えだそう。自分も意図せず自然とその考えに引っ張られているそう。
例えば人と衝突している時、自分の感情に従うのではなく、自然の摂理としてどういう状態か、水はどう流れるのかを考えて、無理にその状態を変えようとするのではなく、いかにしてその水の流れが自然に流れる状態になるのかを考えるようにする。とのことで、それはとても理に叶っているなあと思い、勉強になった。
それと、例えばこの人のここが足りてないなあと思った時に、その人の特性もあるから、この人には変にその不得意な部分を治してもらうように促すのではなく、その人はその人の得意な分野でがんばってもらうがいいのではないか、その境目ってどのように見極めていますか?という質問をしたところ、その人がどうなりたいか、どこに行きたいかによるという回答をいただいた。
たしかに、その人がこれでいいと思っているのならそれを無理に変えようとする必要はなくて、でもその人が今とはまた別の役割や別の位置に行きたいと思っているのであれば、ここを直した方がいいよということがあれば言ってあげた方がいい。すごく腑に落ちる。
これも水がどこに流れるかという神道的な、自然の摂理の話だなと思う。一見スピリチュアルな話に見えるけど、実はすごく物理的だなと思えてすごくおもしろい。
社長さんはなんでいつもあんなに冷静でいられるのだろうかと思っていたのだけど、毎日欠かさず朝昼晩と3回分日記を書いているらしい。なんで1日3回なのかを聞こうと思いながら聞けなかったのでまた聞いてみたい。
駅からタクシーに乗って帰ろうと思ったけど、やっぱり日記を書きながら歩いて帰ろうと思い書いている午前0時。もうあまり寒くない季節。いい季節。
ゴミ捨てに行く途中に見える近所の公民館の桜の木にもう花びらはなく、葉っぱになっていた。忙しく散歩もできない日々を過ごしているとタイムスリップしたみたいに季節が過ぎてしまう。見逃したくないなあ。
明日が妻と長女の誕生日。先日長女が「ママ誕生日に欲しいものある?」と聞いて、あると言ってて、あったのか!と思った。毎年自分が勝手に選んだものを渡していたから、今年もそのつもりだったから聞いといてよかった。長女ありがとう。
ということで、家族で倉敷のアリオに行って、プレゼントのピアスを買った。
帰った後、試しに付けていてよく似合っていてよかった。
保育園に迎えに行くと桜の木があり、桜について考える。
小学校にも桜の木はあるし、中学校にも、高校にも桜の木がたくさんある。入学式の時期になるとまるで新入生を歓迎する舞台装置のように咲く。そこに配置したのは人間の意図的な操作だけど、花が咲くスイッチは人間には操作できなくて気温と桜のみぞ知るというのはおもしろいことだなと思った。しかもそのスイッチが一度だけではなく毎年発動するのもおもしろい。
入学式の時期にちゃんと咲くのもすごい偶然だなと思って、もしや桜が咲くから新学期の始まりを4月に決めたのだろうかと、大発見をした気分になったけど、調べてみると全然そういうわけではなかった。
けど、桜も咲いてめでたいですし、4月はじまりにしましょか〜という薄らとした意思決定の材料にはもしかしたらなっていたのかもしれない。
ラジオネーム「某都民」という人がいて、これは某+都民なのか、某都の民なのかどっちなんだろうと思い、歌詞を読んだら某都の民っぽかった。
今日も朝から同じ道を散歩して、この前見た法面の上の方にある桜に気づかず通り過ぎようとしたところ、上の方から紙吹雪みたいに演出みたいに花びらがぱらぱらと落ちてきた。
見上げると葉っぱがいっぱい生えていた。
TaiTanさんが関わっているジョニーウォーカーブロンドという新商品のポップアップイベントとライブが東京であり、その空気だけでも感じようと思い岡山の僕は律儀に(?)このジョニーウォーカーをAmazonで注文していた。
イベントのサイトに載っていたレモネードハイボールがすごくおいしそうで、家で作ろうと思い、コンビニでレモネードと炭酸と氷を買って帰った。
わが家でハイボールを作るのは初の試みだった。妻もおいしいおいしいと飲んでくれて、子供達もわらわらと集まり、レモネードと炭酸と氷をグラスに入れておいしいおいしいと喜んでいてよかった。
長男が、20歳になったらパパと居酒屋でお酒飲みに行くのを夢にすると言ってて、長く生きるとそんなイベントもあるのかと12年後が楽しみになった。
夜中に仕事を終えて、一人でご飯を食べながらインスタを開くと珍しく朝井リョウさんの投稿があり、読んでいるとなんとイン・ザ・メガチャーチが本屋大賞に選ばれたとのこと。いや〜めでたい。むしろメガチャーチが選ばれなかったらわざと外したのではと思うくらい本好きも本好き以外の人もみんな読んでいたので、納得の結果でしょう〜
受賞の連絡を受けた朝井さんは無意識に大笑顔でスキップをしていて、過去2回ノミネートして落ちても意識しないようにしていた自分がいかにこの賞が欲しかったかを知ったらしい。めちゃめちゃ微笑ましい。
おめでとうございます。
たまに聞いているPodcast番組で、子供の頃はめっちゃゲームしてたのに大人になってからしなくなったという話をしていた。自分も全く同じで、なぜだろうと思って、子供の頃って現実世界の方の自由度が低すぎるからではないかと考えた。学校、勉強、部活ぐらいしか選択肢がなくて、遠くにも行けないし、時間もお金も自由に使えないし、けどゲームの中でなら自由に旅に出たり、スキルを上げたり、お金を集めたりできる。ドラクエだと職業を選択してレベルを上げて、転職したりできるのが自分はすごく好きだった。
大人になると現実の世界の方が自由度が増した。
あの頃はゲームが大人の擬似体験というか、人生の拡張みたいな役割を果たしていたのかもしれない。