ないけどある
昨年に広島に行ってから、平和について強く意識するようになった。
その次の日から、PEACEの文字が書いてある大きなポスターが事務所に貼ってある。
意識するようになったけど、どうしたらいいのかわからない。意識するだけでいいのか、何かした方がいいのか。
自分には戦争の記憶がない。戦争の知識がない。
そう思っていたところで「せんそうって」という本が本屋にあって、読んでいる。
自分みたいな一人の人間が戦争のことを知ることに何の意味があるのだろうかとも思うけど、一人の人間がそれについて考えるだけでも何かのエネルギーになるだろうか。
8月6日の朝、今日は広島の日だなと思った。思ったのに8時15分がとっくに過ぎていていることに気づいたのはもう9時過ぎだった。ゴミ捨てをしに一人で外を歩いている時だった。黙祷もできていない。
そのまま散歩をした。夏の暑い日だった。81年前も暑い日だったらしい。けど気温は今の方が暑いだろうから、昔はもう少し涼しかったのかなと考える。蝉が鳴いている。上を向く。空が青い。ご近所の家の庭にひまわりが咲いている。
事務所に行って仕事をして、またその日であることを忘れる。18時頃に、またその日だと思い出す。そういえば高市総理は広島に来たのだろうかと調べる。動画で総理のスピーチを聞いて、広島県知事のスピーチを聞く。
知事が核兵器の廃絶を訴えている。コメント欄に、スピーチへの共感や賞賛の声が書き込まれている。その中に「一刻も早く核武装による抑止力が日本には必要」と逆の意見を書いている人もいる。蝉が鳴いている。色んな意見の人がいる。
1年前の石破総理のスピーチが良くて、もう一度聞く。スピーチの最後に短歌を2回繰り返すところで、また涙が出てくる。
「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり」
日本に訴えられて、核兵器のある国が「そうだね、なくしますね」と言ってくれる気はしないけど、訴え続けることが大事なのだろう。バランスを保つための力になっているのだろう。理想論だとか、お花畑だとか言われても、理想を訴えることをやめてしまえば、そのバランスが崩れてしまうだろう。
他の国の考えを変えることはなかなか難しいけど、唯一の被爆国は、その虚しさと悲惨さを訴え続けることが、自分の国の人々や世界の国の人々に対して抑止力になっているのではないか。この記憶をみんなが亡くしてしまったら最後だと思うから、どうにか繋ぎ止めておきたい。
5歳を車でスイミングに送っていると、空の青に真っ白い大きな積乱雲が浮かんでいた。窓から外の景色を眺めている横顔が夏っぽくて良かった。運転中だったから写真に残せなかった。
駐車場に着いて5歳が「パパ、風があるよ」と言って大きな木の方を見た。緑が揺れていた。風は見えないけど、風があるのがわかった。
忘れたくないから書いておこうと思った。
