映画の中に居る
平日の夜に、気がついたら一人でショッピングモールの駐車場に居た。
ここ半年くらい2件ほど大きめの仕事を進めていて、その仕事がようやく落ち着いたのだ。
何か自分にご褒美があっても良いんじゃないかと考えて、この前先輩が良いと言っていてどうしても見に行きたくなっていた映画を見に行くことにした。この日だ!という日、仕事が終わった後、気がついたら車を動かしていて、気がついたらショッピングモールの駐車場に居た。
いつもは家族と居るはずの場所に一人で居る。こういう時、妻に悪いなという気持ちが湧いてきて、心がざわざわするのだけど、この日は全くその気持ちがなかった。
平日の夜の映画館はがらんとしていた。休日の昼に子供達と一緒にポップコーンと飲み物を抱えて入場していたはずのゲートに、身体一つで入場した。
できることなら人生の最後はエンドロールを見つめながら終わりたいとよく思う。上映後、その理想が叶ったかもと思うくらい心地が良いエンドロールの中に居た。
わかりやすく1つの主題に向かって進むのではなく、たくさんのテーマが混じり合っていて、文学作品を読んだ後みたいな気持ちになった。それって映像でもできるんだ。嬉しくなった。これが2時間だと味わえない気がする、だからこの監督の作品は3時間を超えているのか。
作品の中で、好きだと思うシーンが何個もあった。その中でも山のシーンが強く心に残った。教えてくれた先輩もあの山のシーン好きだろうなと思った。
「人と人との仲を深めるのは、どれだけ一緒に同じ景色を見てきたかだ」という言葉を本で読んだのを覚えている。映画は、見る場所も見る時間も違っていても、間接的に人と一緒に同じ景色を見ることができる装置なのかもしれない。これは文学にはできないことかもしれない。景色は想像できても、同じ景色は見れない。
映画館から走らせる車の中で、映画のことを考えていた。
翌日に目覚めてからも映画のことを考えていた。朝、散歩をしながら映画のことを考えていた。「その映画のことを考えている時、私はまだ映画の中に居る」という一文を思いつき、そうかもしれないと思いながら歩いた。
感想を書きたいけど、その感想をずばりと表現できる言葉が見当たらない。「感動」とか「尊い」とか「圧倒的」とか、強い言葉を使うほどに逆に作品を矮小化させる気がする。自分の語彙の乏しさを疑ったけど、この世にぴったりな言葉がない感情にさせてくれる作品こそいい作品なのかもしれない。
言葉にするとどうやったって複雑な感情がこぼれ落ちてしまうし、感想を書き終えた瞬間、自分とその映画の関係を終わらせてしまう感じがするので、感想を書かないでおこう。
まだ映画の中に居られる。
