エッセイ

AIへの苦情と抵抗

りゅーまち

インターネットが好きだ。
好きだった。けど、今のインターネットはあんまり好きじゃなくなってきたかもしれない。

Xを開いて、おもしろいポストを見つけると、すかさずそこについたコメントや引用リポストを確認する。するとそこには明らかにAIにポストを放り込んで自動で出力させたようなコメントが並んでいる。そのアカウントを確認すると、日本語で流暢なコメントを書いていたのに、プロフィール欄にはよくわからない英文が羅列されている。

やっぱりと思って画面を閉じる。ゾンビという名前がぴったり。大好きだったインターネット空間がどんどん汚染されていく。町がゾンビタウンになってしまった。もしもし、あなたもゾンビでしたか。早く人間だけがいる、安全な場所を探さねば。

人間の言葉だけ読みたいのに、それを見つけるために疑ったり、脳内でフィルタリングしながら読まないといけないのがすごく面倒くさい。

おもしろいかもと思った長文のブログ記事も、途中でAIっぽさを感じる文章が出てきて、げんなりして画面を閉じた。もしその文章が人の手で書かれていたとして。もはやそう感じたり、疑いながら読まないといけないことがつらい。

AIが書く文章ってつまらない。多方面への配慮に配慮を重ねて抽出された無味無臭の文章。もしくはこれおもしろいでしょ?とか、こう言われたら気持ちいいんでしょ?と言わんばかりの媚びた文章。ずっとスベってる。

年末に、楽しみにしていたM1を見た。今まで全然知らなかったタクロウというコンビが優勝した。見たことがない漫才だった。本当におもしろくて心から笑えた。他のコンビのネタで、高得点だけど自分的に冷めてしまう瞬間が何度かあった。あ、これって去年の令和ロマンに習って会場を広く使おうとしているんだな〜とか、大きな声を出して後半に怒涛の展開を持ってくると高得点が出やすいよね〜とかそういう場面だった。試験対策のような。これってAI的だなぁと後になって理解した。みんながそういう部分をなんとなく感じ取って、そんなのを壊す新しい風を吹かせてくれるコンビが優勝するのだなーとか考える。タクロウは人間だった。

以前はAIのすごさに驚いたり、わくわくしたりしていたけど、今はAIと共存していかなければならない未来にけっこうげんなりしている。

仕事柄、使わないと話にならない時代になっているから、使うけど、けども、こんな気持ちになるくらいなら、いっそAIなんて誕生しないでほしかった。X上だけじゃなくて、この世界全体がゾンビタウン化してしまう想像をしてしまう。人と比べて新しいものに興味を惹かれる自分は、技術の進歩やこの先の未来にわくわくしていた。でも今はなんだかその気持ちが萎んできた。AIによって前進するよりも、町が荒れ果てていく感じがどうしてもするのだ。僕のわくわくな未来を返してくれ。

そんなもやもやを抱えながら、この前忘年会で、東京でエンジニアをしている友人に「AIを使うのが嫌だ、使うけど感情としては嫌だ」というわがままを言ったら、彼は「それはそろばんを使うのが好きだからエクセルを使うのが嫌だと言っているじじいと同じ」と言われて、恥ずかしくなった。

「どの部分をAIに任せて、どの部分を任せない方が良いのかあんまり区別がついていないんだけど、どうしてる?基準とかある?」と聞くと「こんな楽しいことはAIに任せたくないと思うことは自分でやる」と返ってきて思わず唸った。

12月の前半に、読書が好きな友人と3人で久しぶりに集まって、1か月に一人一本エッセイを書いて報告し合おうというルールを決めた。年末に自分以外の友人2人が先に書き上げて報告してくれた。その文章は、何の疑いもフィルターも通さずに読むことができて、心地良くて、安心して、喜びさえ感じた。

この先もこの町は、ますます脳内フィルターで除外しなければならない文章で溢れると思う。だからそれに抗うようにして、この時代の人間が感じていること、考えていることを直接抽出して残しておきたい。安全な場所を残しておきたい。

(サムネイルは最近子供たちのシールブームにあやかって買った「ヒトコトそえるシール」。)

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